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20141208

皆さんこんにちは。
加藤嘉一です。

本日第30回NAHAマラソン」に参加しました。
5回目となるマラソン、2回目となるNAHAマラソン。
コースを一度走っているというメリットもあるし、今回はぜひともその経験をレースに活かしたかった。

目標は3時間10分(いまの僕に3時間を切る実力はない)。
最低でも東京マラソンでの記録(3時間18分20秒)は切らなければいけないという姿勢で挑み、
準備もそれなりにしてきた。
アップダウンの多いワシントンで日々走ってきたことも、同じくアップダウンの多いNAHAマラソンに
活きると考えた。
那覇入りした感覚では、上手く行けば3時間10分切り。
東京の記録は普通に突破できるとふんでいた。

結果は3時間41分21秒。

東京を走った後のご報告のように(http://katoyoshikazu.com/top/?p=15)、
5キロごとのラップを示すと以下のとおり
(全くもって自慢できるタイムではありませんが、己の情けなさをさらけ出す意味で)

0−5キロ:24分8秒
5−10キロ:22分42秒
10−15キロ:23分35秒
15−20キロ:23分52秒
20−25キロ:23分42秒
25−30キロ:26分57秒
30−35キロ:32分56秒
35−40キロ:31分43秒
40キローゴール:11分44秒

スタート後、無理をせず、余裕を持って走るよう心がけた。
コンディションから東京のタイムを切ることをイメージした。
ハーフまでは余裕を持っていけた。
前回の那覇(3時間51分)のように完全に足にきて、30キロから40キロまでウォークとジョグを
繰り返すような羽目にならないように、ハーフ通過後も極力余裕を保持して、
無理矢理ペースをあげないようにした。
ところが、28キロくらいから、足にきたわけではないが体が動かなくなり、
内臓器官が傷んで気持ち悪くなり、ダレてしまった。
結局そのまま挽回できずにゴールラインを踏んだ。

僕が走りながら、そして走り終えたいま自分の走りに対して抱いた問題意識が5つある。

・今回ゴールするまで立ち止まってしまうほど足にこなかったのは事前にそれなりに
走りこんでいたからだろう(それでも途中3分ほど歩いてしまった。メンタル面が弱すぎる)。
でも、それなりに練習したのにこの結果には正直ショックを隠せない。

・なぜ自分はマラソンを走る度に内臓器官が痛くなり、気持ち悪くなるのか。
走り終わった後も必ず吐いてしまう。

・途中まで余裕を持っていけたにも関わらず後半タレてしまったのは、
僕にマラソンを走る才能とセンスが根本的に欠けているのに加えて、やはり練習不足が挙げられる。
今回は過去に走ったどのマラソンよりも準備をした。
最低60分、長くて120分、平均80分くらいを週平均5回くらい走ったが、
ハーフならよくてもマラソンを走りきるためにはまだまだ足りないのだろう。
自分の怠惰から事前に取り組もうと思っていた3時間走も結局一回もやらなかった。
レース中のスタミナ切れも内臓器官の痛みも、「ここ」に原因があると僕は考える。

・レース中、タレて行く情けない自分を眺めながら、「もうマラソンやめようかな」、
「やっぱり向いていないんだよ」、「こんな無様な姿を世にさらけ出すくらいなら、
もう完全な趣味として、レースには出ずにたらたら走ればいい」、
「マラソンってきついだけで楽しくないな」などと考え込んだ。
僕は自分がそう思ったことを責めない。
心の雄叫びだから。
しかし、これからどのようにマラソンと付き合っていくかに関しては落ち着いて、
真剣に再考する必要があると、レース終了から3時間半が経過した現時点では考える。

・4点目とも関係するが、自分の人生にとって、マラソンとは何を意味するのだろう。
「人生」と「走ること」の関係性についてはすでに整理・定義できている。
今後ブレることはないだろう。
ただ「人生」と「マラソン」の関係性については、これを機に本腰を入れて考えてみたいと思っている。

最後に、沖縄の大地と人々に感謝したい。
僕は沖縄を考えること、沖縄と考えることをライフワークにしている。
今回マラソンを走りながら、前回同様沿道の応援に励まされた。
県民の方々の自発的なコミットメントに圧倒された。

今回は3日間という短い滞在だけれども、知事選を終え、衆院選を控えたこの時期に、
自分なりに現地の方々に学び、触れ合いながら、沖縄のいまと未来に光を当ててみたいと思う。
 
 
加藤嘉一

2014年12月7日 那覇の片隅にて