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20140106

皆さまこんにちは。
新年明けましておめでとうございます。
昨年も多くの方々から応援していただき、未熟な僕にとっては本当に力となりました。
背中を押していただきました。本年も全力で時間と空間を駆け抜けるべく、
自己管理を徹底していきたいと考えております。
引き続き、ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

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いま、Every Little Thingの「ありがとうはそのためにある」を聴きながらパソコンのキーボードを打っている。

アメリカに来て1年と4ヶ月が経った。
時間の流れが速いとか遅いとか、そういうスピード感を覚えられないほど、
平淡な時間を過ごしてきた気がする。
中国で過ごした激動の日々とのギャップがあまりにも深すぎて、
心と体が硬直状態になることもしばしばだった。
そして、そういう状態をどう評価したらいいのかに戸惑うこともあった。

自分は何処へ向かっているのか。
過去よりも強い未来を創るために現在がある。
それが真実。
そんな真実をどう解きほぐしていくか。
永遠のテーマなのかもしれない。

ハーバードでの日々は充実している。

アメリカの政策決定者や学者との交流はつねに「新鮮さ」に満ちている。
それ以上でも以下でもない。

ここを訪れる中国の役人や実業家、学者や学生との交流はつねに「懐かしさ」に満ちている。
それ以上でも以下でもない。

ここで共に切磋琢磨する同世代の日本人との交流はつねに「刺激」に満ちている。
それ以上でも以下でもない。

日本人に関して、少しだけ特筆したい。

年末年始は基本的に人とは会わず、話さず(家族と恩人は例外)が僕のプリンシプルだが、
そんな中でも同世代の日本人二人とはサシで会って2013年を振り返った。
これから日本の政策決定を担っていく二人だが、
二人とも「加藤嘉一にとっての2013年はどんな年だった?」と単刀直入に聞いてきた。
「お前はこれから何処に進んでいくんだ?お前の存在価値は何だ?」という具合にガンガン攻めてくる。
こっちが困ってしまうほどに。

自分が困惑する姿を客観視することほど気持ちいいことはない。

彼ら・彼女らから多くの事を学ぶ過程で、自分も少しずつ前に進んでいけるのかな、なんて思索にふける。
僕も彼ら・彼女らに「持続可能な刺激」を与え続けられるように、努力を惜しまずもがいていきたい。

お互いの反省点や改善点、これからの目標や、今現在抱える葛藤、過去と未来の狭間で現在をどう定義するか、
などといった赤裸々で生々しいテーマを率直に語り合える祖国の同胞たちと、
ここハーバードで出会えたことは僕にとって生涯の財産だと思っている。

みんなに心から感謝したい。
そして、これからの奮起を共に誓い合いたい。

ありがとうはそのためにある。

大晦日の夜、ボストン地下鉄グリーンラインの満員電車内で2014年の目標8つを
iPhoneのメモ帳に書き留めた。
具体的で恥ずかしいからここでは記さないが、究極的には、

一走闘魂・一筆闘魂・一生闘魂

に限る。
不器用な僕にはそれくらいしか出来ない。

これからに向けてのイメージは常に出来ている。
生きるという課題に向き合っていく上で必要な心の準備は幼いころから全く変わらない。
コンディションも意識の持ち方も昔と全く同じだ。いまになって変わるようじゃ話にならない。

本当に大切ものは不変的であるはずだから。

変えない勇気、を抱いて突き進むことが己への恩返しになる。

イメージだけはしっかり持つこと。
あとは己の感性と努力にかかっている。
そこを信じて、365日繰り返し、激しく回転させること。
それが僕にとっての唯一の目標になる。それによって生まれた結果を評価するのは僕じゃない。
僕が生まれてきたこの時代と環境に捧げるものであり、社会や歴史に判断してもらえばいい。

2014年、僕は30歳になる。

家族や友人、先輩や後輩を含め、多くの方々から「この点」を指摘される。
そのたびに、「ちょっとわからないですね」と答えてきたが、僕の心のなかでは確固たるものがある。

30歳という関門を前にして、何を思うか。

僕のスタンスは「無視」だ。

中学生の頃、僕は陸上競技の800メートルや1500メートルに取り組んでいた。
弟に比べて才能もセンスもなかったけれど、学業の傍ら、自分なりに日々トレーニングに励んだ。
左腕に腕時計を着用して、ペース配分を考えながら、チェックしながら走るのが常であった。
少しでも創意工夫しないと強くはなれないと思ったからだ。

そんなある日、父親から言われた。

「てめえ格好つけてんじゃねえぞ。
 時計なんか着けるな。
 そんなものに眼をくれている体力があるなら一歩でも前に向かってチカラを振り絞れ。
 身体が覚えているだろ。
 記録を出したいなら、勝ちたいなら、ペースなんて無視して突っ走れ」

あれから15年経って、ようやく父親がいいたいことの意味が分かった気がする。

いま僕が己に言い聞かせる「無視」とは、父親から教わった、走り続ける者にとっての基礎であり、
生き続ける者にとっての教訓でもある。
そう理解しようと思う。

家族のためにただひたすら、みっともないくらい愚直に走り続けた、いまは亡き父親の背中を追いかけて、

僕は今日も走る。
 
 
2014年1月1日 ボストンの自宅にて カラッと晴れた冬空を見上げながら