ボストンの自宅にて

December 25th,2013
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20131225

皆さんこんにちは。加藤嘉一です。

いま、ボストン自宅で一番好きな部屋の隅っこで
Every Little ThingのOrdinaryを聴きながらキーボードを打っています。

アメリカはクリスマスムードで完全休止。
ハーバードも休みに入ってみんな自分のやりたいことを楽しんでいる模様。
日本もこれから「年越し」という独自の文化を享受する時間に入っていく。
それがすぎれば、今度は中国が旧正月(春節)に湧きだつようになる。

近年日米中という枠組みで活動してきた僕。
この時期は「周り」が「忙しい日常」から「リラックス&盛り上がりの非日常」に入ることを
毎年実感してきた。
それはそれで悪くない。
そもそも、世の中の趨勢と他者の営みに良い悪いという判断を下す資格は僕にはない。
アリストテレスが言ったように、人間は社会的動物だから、他者との共存を図る前に、
他者の生き様に理解を示すことは生を授かったものとして本来的な使命であり、それ以上でも以下でもない。

ただ、「周り」が「非日常」に突入するときこそ、「己」は「日常」にしがみつくことを主観的に
「良し」とする考え方は小学生のころから変わらない。
亡くなった父親の教えでもあるけれど、祝日に代表される「非日常」は「周り」が勝手に決めたことで、
本質的に自分には関係ない。
自分は自分のペースで時間と空間に向きあえばいいと思う。

「てめえに正月を楽しむ資格なんてあるのか?それだけのことをやってきたのか?忘年会なんて言い訳だ」

父親から鉄拳が飛んできそうだ。

鉄拳が懐かしい。

だから僕は忘年会には参加しない。
「周り」から「付き合い悪いね君」と思われるのは覚悟のうえだし、実際に嫌味を言われても謝ればいい。
年末はこの年に蓄積された悔しさを自分の心の中で整理する時期であり、
他者とワイワイ盛り上がるのは筋が違うと思っている。
友人たちとワイワイ盛り上がるのは大好きだけど、この時期じゃなくていい。

年末年始は、可能な限り一人で静かに過ごす。
極力口を開かず、眼を開かず、心を開かず。
とことん内向きになって、自我との内的対話にしがみつくこと。
これまでの人生で実践してきたことを、今年もただ無心で取り組むこと。
それが年末年始という社会が決めた行事に加藤嘉一という自己が向き合う上での基本的目標になる。

例年と少しだけ異なるのは、身体の複数の部分に故障を抱えているということ。
すべては僕自身の自己管理が至らなかったことが原因で、
何を言っても言い訳以外の何物でもないから多くは語らないが、思うように動けなくなって、
気合と根性という父親から教わったスキルだけでは壁をぶち壊せないという現実を前にして、
生まれて初めて知ること、考えること、そして、見えてくることがあるものだと、心のなかで感じている。

それも悪くない。

最後に、母校であり、僕を鍛えてくれた山梨学院大学付属高校駅伝部男子が
京都都大路で開催された全国高校駅伝で初優勝しました。
女子も6位入賞と大健闘でした。
後輩たちのがんばりを心から誇りに思うと同時に、大きな勇気を頂きました。

みんな、本当におめでとう。
やったね!

また、後輩たちを指導し、見守ってくださってきた学院の諸先生方にも心より感謝の意を申し上げます。
出身は静岡の伊豆半島ですが、中高の6年間を過ごした甲府市酒折は僕にとっては成長と挫折の原点であり、
人生という荒波にぶつかっていくために必要な多くの哲理を学院の先生方、
先輩方、同級生、後輩たちから学ばせていただきました。
学院の卒業生であることを誇りに、これからも突っ走りたいと思います。
 
 
2013年12月24日 ボストンの自宅にて