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今年も祖国の外で自分が生を授かった日を迎えることになった。
こういう物理的な要素は何を意味するわけでもないし、
いつもと同じように朝日を迎えて、夕陽を見送って、
同じ24時間に身を委ねるだけだ。

20代最後の誕生日を迎えるに当たり何を想うか。正直何も想わない。
こういうテクニカルな要素は何を意味するわけでもないし、
これまでと同じように、昨日という日を見送って、今日という日を過ごして、
明日という日を迎える。

特別なことは何もない。

怖さとか不安ではなく、ただ平常心を保って、そこに闘争心をかぶせて、
時間という自分のチカラでは変えられない対象に向き合っていくこと。
自分のペースで、強弱をつけながら、回り道もしながら。時にお腹が痛くなったりしながら。

変わることよりも、変わらないことの強さを意識するようになったのは最近のこと。
自分の中にかすかに生まれる意識の変化を感じる。
そこに眠る何かを判断するのは今じゃなくていい。
時間が過ぎていくのを傍観しながら、気長に待てばいい。

日々の忙しさの中で、人々は待つことの美を忘れ去ったのかもしれない。

この日にやらなければならないことが一つだけある。
自分を生んでくれた母を想うことだ。ありきたりな表現だけれど、
自分の土台を耕してくれた母に対して、感謝の気持ちを持つことだ。

山梨で過ごした中高時代。辛くなるたびに握りしめた青い鉢巻に、
僕は幼心ながら、汚い字でこう書いた。

「母に捧げる」

この気持ちは今も変わらない。

2013年4月28日 ケンブリッジの自宅にて