この歳になって、体力や気力が徐々に衰えていくの感じることが多くなった。
若い頃の自分とは違う自分。
トレーニング、栄養、休養の均衡を心がけるようになったぶんだけ、
キャパシティーやマインドセットに少しだけ余裕が生まれたという気がしないでもないが。
心のどこかにある一本の糸が切れそうになるような感覚に出会うことも多くなった。
今朝もそうだった。
思いっきり寝て己を休めて、深夜の坂道ダッシュで己をいじめて、
そういう感覚はなんとか振り払った。
「何かをあきらめようとしているのか?」
そんなふうに自問自答した。
「何かって?」
「えっ、人生?」
雪が散らばる夜の公道にぶっ倒れながら、星空を見ながら考えた。
身体は冷えた。
「いや、あきらめるってそんなに簡単なことじゃない」
そう思うに至った。
「てめえ、気合入ってねえんだよ」、父の罵声が聞こえてきた。
「あきらめるのは簡単だから」っていう類の言葉を聞くことがある。
僕はそうは思わない。少なくとも今は。
人間だれしもああいうこういう信念を持って生きている。
こんな風になりたい。こんな風でありたい。
そんな思いを抱く人間にとって、あきらめることは自殺行為だ。
「自分の夢、そんな簡単に諦められるかって話でしょ」、本田圭佑がそう言っていた。
「諦めたら、そこで試合終了だよ」、安西先生がそう言っていた。
一日、そしてまた一日。
決めることと捨てることがある。
ハンバーグを選べば、鶏の唐揚げは諦めなければならない。
両方食べるのにはお金がかかるし、お腹もこわす。
何より、後味が悪い。
人間そんなにでっかくない。
一年、そしてまた一年。
割り切ることともがくことがある。
読みたい本が読めない。
行きたい場所に行けない。
会いたい人に会えない。
人生はいろんなミクロでできているマクロだ。
時に見えなくて、時に届かなくて、時に怖気づいて…
それはそれでいい。
それでも、とにかく、何が何でも、もがいていきたい。
割り切ることに寛容でありつつも、もがくことには真摯でありたい。
「流れる時に、負けない想い。
今日という風を感じて、今を生きてゆく。
そんなことが、何よりも大切に思えるのは、
信じるべきものがあるから。
そして、君が、いるから」
小田和正の「今のこと」に聴き入りながら
ハッピーバースデー
2015年1月17日 地球の片隅にて