ボストンの自宅にて

December 10th,2013
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20131210

皆さんこんにちは。加藤嘉一です。

約2週間のアジア出張を終えてようやくボストンの自宅に戻ってきました。
ローガン空港に着陸したらみぞれが降っていて、
再び苦手な寒さに挑まなければならない境遇を実感しました。

空間の移動という産物は、いつも僕を切なくさせる。

東京では中国研究会の学生向け講演会のほか、
企業家・投資家・実業家の方々と激動の中国問題を議論することができました。
中国という生き物を、近視的、局地的に、好き嫌いや良し悪しで愚痴を言い合うのではなく、
少なくとも中長期的視点に立って、地政学や共産党の統治メカニズムなどにも気を配りながら
冷静に議論していくことの重要性を再認識しました。

リスクを取らないことほど深刻なリスクはないということ、
リスクを取らない自分の存在こそが社会的リスクなのだという当たり前の真実を再認識しました。
対中戦略も、そして人生も一緒なのだと、成田からボストンの空の上で考えていました。

沖縄に6日間滞在できたことは本当に楽しく、充実していて、大きな収穫に満ちていました。
到着当日に赴いた琉球大学での講義、最終日に参加した「2030年の沖縄観光を考える」ワークショップ、
ジャーナリストや学者の皆さんたちとの沖縄問題をめぐるディスカッション、各界関係者との対談。。。
すべてが充実していて、日本の米国、中国を含めた対外関係を考える上で沖縄というポテンシャルを
どう国家戦略というレベルに落としこんでいくかという世紀の課題を真剣に考える機会に恵まれました。
沖縄でお世話になったすべての方々に、この場をお借りして衷心より感謝の意を申し上げます。

初めて挑んだ那覇マラソンは、3時間50分もかかってしまい惨敗でした。
ワースト記録に胸は痛み、ショックでしばらく立ち直れなかった。
沖縄の人々は、「暑かったから」、「アップダウン激しいから」、
「加藤さん初めてだし、怪我してたから」とか慰めてくれましたが、単純に自分の実力不足・準備不足。
それ以上でも以下でもない。
僕は暑さが好きだし、アップダウンも好む性格。
主催者の沖縄タイムスの関係者にはすでに伝えましたが、来年も出場して必ずリベンジします。

マラソンコースの沿道では、現地の人々の声援が絶えなくて、県民が一丸となって、
私たち参加者に温かい手を差し伸べてくれました。
僕は沖縄の人々ほど純粋に自らの郷土愛を他者に対してデモンストレーションできる
シティズンを見たことがない。
僕も沖縄を、沖縄の人々、沖縄の大地と大海を愛している。
生涯をかけて沖縄問題を考え、共に向き合っていく覚悟でいる。
僕も全力で挑むから、沖縄の人々も全力でぶつかってきてほしい。
勝負は始まったばかり、という自覚をどれだけ抱いて、
未来に向かって走っていけるかにすべてはかかっていると思う。

2013年のゴール地点が視界に捉えられる時期に差し掛かってきた。
正直言って、怖い。
時間の流れに自己観念が追いついていかない。
認識が現状を引っ張るコンディションが正しいはずなのに、いつも現状に認識が引っ張られてしまう。
僕自身の弱さと怠惰が原因のすべてだが、僕は脆いから、
無意識のうちにしばしば「時間よ、止まってください」なんて祈ってしまう。
ずうずうしいよね。

そんなときは、僕よりも少し若い中国の政治エリート女性の口癖を思い出す。

「大きな大きな絶望の中で、小さな小さな努力を重ねていく覚悟だけは持っている。
この時代に生まれてきた事実に価値を見出すには、それくらいしかできない」

世界を見渡せば、大きな絶望感の中で、それでも小さな努力を続けている同志たちがたくさんいる。
そう思うだけで、少しだけ気持ちが楽になり、胸のあたりが清々しくもなる。
それもひとつの幸福。
僕は現実的な楽観主義ではなく、悲観的な理想主義を貫いていきたい。
割り切ることではなく、もがき苦しむことで一歩一歩進んでいきたい。
この時代に日本人として生まれてきた事実に価値を見出すことに挑戦したい。

生きることの意味。生きていくことの価値。生き続けることの真理。

いまじゃなくていい。人生のクライマックスで、少しだけ理解できればいい。

今日には今日の夕陽が沈むように、明日には明日の太陽が昇る。
 
 
2013年12月9日 ボストンの自宅にて、見えない夜星を見上げながら