いつになく苦しいランだった。
呼吸が苦しい。身体が重い。気持ちが乗らない。
20キロ走るところを、7キロで止めようと、心が折れそうになった。
「こんなに苦しいなら、自分が情けなくなるなら、走らないほうがましだ」
結果は走りきった。
「途中でやめたら、カレーがまずくなる」
そう思ったから。
コーチもいない。パートナーもいない。給水をくれる人もいない。
一人だけの、空っぽな時間。
走り終わって作ったカレーは、いつになくうすくてまずかった。
「せっかく走りきったのに…」
やっぱり自分は救いようがないくらい不器用だ。
痛めていた足の容態は少しずつ良くなってきた。
毎日1時間かけて自分で治療をしなければならない。手間もかかる。
1年前の自分だったら「時間の無駄だ」と切り捨ててしまっていたかもしれない。
今なら、それは「自分と向き合う時間」だと思える気がする。
成長の軌跡を爽快に喜べる自分に出会ったことはない。
半信半疑。
だから、不安にもなる。
不安や孤独を噛み締めながら、時に、自分はどこに向かっているのかすら見失いながら、
それでも生きていかなければならないのが、人間にとっての使命なのか。
そんなことを、最近考える。
それでも、どんなに自分が嫌になっても、情けなくなっても、無様になっても、
自分に守りたいと思える何かが存在する限り、僕は走り続けたい。ただ愚直に。
狂おしく鮮明に、僕の記憶を埋め尽くす。
2013年9月14日、ボストンの自宅にて、ミスチルの「しるし」を聴きながら